《みちる》 モンマルトル(前編)
Hi! みちる流『Montmartre(モンマルトル)』紀行(前編)です。
パリの『モンマルトル』。
そこは、ゴッホやピカソも住みついた芸術の街でもあります。
そして私も、その丘に魅せられた1人です。
私が歩いた足跡を一緒に辿りながら、その魅力を2回にわたって、
ご紹介していきたいと思います。
すでに行ったことがある方は思い出していただき、
これから訪れようという方はぜひご参考にしてみてくださいね。
そのときはイタリアに訪問した足で、パリにも寄ることになりました。
ローマから、ちょうど2時間ぐらいのフライトで、
パリのシャルル・ド・ゴール空港に着きました。
そして宿泊は、パリの中心のほうのホテルではなく、
たまたま『モンマルトル』の付近になったのです。
『モンマルトル』は、パリの中心から少し北に離れた山手地区で、
かつては芸術の中心地でした。
「え、芸術の話…?」と引かないでください。
今日は、そこのお話ですが、芸術に疎い私が、
芸術や芸術家に全く興味ない縁の薄い方にも
ぜひご紹介したいと思って書き始めました。
その『モンマルトル』に短期間ですが滞在することになった私、
…でしたが、じつはその地についての予備知識は、当時「ゼロ」!
それは見事な「カラッポ状態」だったのです。
最初は『モンマルトル』自体についてあまり関心もなく、
フランス滞在中に『モンマルトル』を見てまわる予定も
立てていませんでした。
むしろ、『モンマルトル』からパリの中心街へ出るのに、
毎回、スリの多い地下鉄で行かなければならないので、
uncomfortable(心地よくない)とさえ、感じていました。
ところが、
自分の足で歩き、自分の耳で聞き、自分の目で見た『モンマルトル』は、
長い歴史を語る a spectacular film(スペクタクル映画)を観た後のように
印象的で、日本に帰って来てからも、ますます忘れられない地に
なってしまったのです。
どうしてでしょう?
では、その『モンマルトル』の丘を一緒に登ってみましょう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ホテルの窓から見える小高い丘の上に、
それは美しい真っ白な丸い卵型のドームが見えました。
それほど遠くない距離のような気がして(それは大きな誤算でしたが)、
ブラブラと白いドームを目指して散歩してみることにしました。
「あのドームは何だろう…?」と思って。
そのときは、やがてそのドームのとりこになって
滞在中に何度も足を運ぶようなことになるなんて、
考えてもいませんでした。
丘のふもとの街は、カフェやレストランを中心に、
色々な店が並んでいて賑やかでした。
昼食を食べていなかったので、カフェに入りました。
店の壁や天井には人気らしいアスリート達の写真がたくさん貼ってあって、
身体の大きな、いかにも逞しい若者達が、ピザを食べていました。
「スポーツ・カフェ」だったんですね。
私も彼らのまねをして、ピザをちょいと一つ食べて…、
さあ、出発することにしました。
かつては、そこはブドウ畑や風車が連なる田園地帯だったそうですが、
1860年にパリに併合され、その後 多くの文人や画家が集まり、
ワインを中心に歓楽街として発展したそうです。
その名残に 有名な劇場の「ムーラン・ルージュ」があり、
真っ赤な風車小屋のような建物が今でも一際目立っています。

[ムーランルージュ]
裏通りを登れば、『ゴッホが住んでいたアパート』があると聞いて
探してみました。
注意深く見ていないと、通り過ぎてしまうような普通の建物でした。
その壁に、これまた目立たない大きさのプレートがあって、
「Vincent・Van・Goghが1886年から1888年まで居住」と書いてあり、
やっと、この場所であることが分かりました。
ちょうど外国人観光客達が通り過ぎようとしていたので、
私はついでにその人達にも教えてあげました。
すると、みんなあわてて写真を撮っていました。
でも実際は、「ゴッホが弟の所へ居候していた家」だそうです。
あの印象派の画家のゴッホが、こんなよくあるような坂道の途中に
住んでいたのかと、見回してしまいました。

[ゴッホが住んでいたアパート]
気がつくと、白いドームは向かい側の丘の上に見えるので、
そちらを目指すことにしました。
たくさんの細い小道があり、どこもきれいに舗装されていましたが、
どの道も坂道と階段ばかりでした。
両側は日本でよく見るマンションやアパートのような住宅が
並んでいました。
住宅の窓や狭いベランダはどこも綺麗な花の鉢で飾られ、
ヨーロッパらしさを感じました。

[モンマルトルの街並み]
丘の下の陽気な街とは正反対で、静かな住宅街は人影も少なく、
時々大きなネコに逢うのもパリらしさと言えるでしょうか?
しばらく坂道を頑張って登ると、
『Le Bateau-Lavoir(洗濯船跡)』に着きました。
「洗濯船跡?」と思う人もいるでしょうか?
へんな名前が付いている所でしょう?

[洗濯船跡]
ここは、ピカソ、ルノワール、モディリアーニなどの画家たちが
アトリエを構えていた共同住宅の跡です。
ピカソは1904年から1909年までここに住み、
「アヴィニョンの娘」などを完成させたそうです。
アトリエは後に火災で焼失し、当時の写真を展示した記念碑だけが
残されていました。
彼ら画家の名前は有名なので知っているのですが、
「それにしてもなぜ、洗濯船跡っていう名前になったのかな?」
と疑問に思いました。
後で街をよく知る方から話を聞いてみると、
焼失する前の彼らの安い共同住宅が、
当時セーヌ川に浮かぶ洗濯船によく似ていることから、
こう呼ばれるようになったそうです。
つまり、彼らの安宿のニックネームみたいなものですって。
急に道幅が広くなって、観光客が増えてきました。
丘に登りきると、…広場に出ました。
そこが、モンマルトルを象徴する広場である
『Place du Tertre(テアトル広場)』なのです。

[テアトル広場]
「似顔絵描き」が風物詩の一つで、様々な画風の絵描きが
観光客目当て?に自分の作品を並べ、キャンパスを出しています。
マンガ風な絵、水彩画風の絵、油絵風の絵…などを自由に広げて、
芸術家のタマゴのような画家が大勢いて、
モンマルトルらしい陽気な明るい広場です。
「似顔絵を描いてもらうのも面白いかな…?」と思いながら、
いろいろな絵を見てまわりました。
でも、その時は、絵を買ってしまうと荷物になると思い、
もっと色々と探検したいので、あえて素通りをすることにしました。
周囲はレストランやカフェが並び、どこも観光客でいっぱい。
そういえば、この風景を旅行雑誌でも以前に見たことがありました。
きっと名所の一つなんだなと思いました。
夜は歌声が響いたりして、さらに賑やかになるそうです。
夜も来てみたいな…と思いましたよ。
静かな住宅の坂道とは、別世界のように感じました。
でもそこは修道院の絞首台の跡地で、
19世紀には芸術家達が展覧会を開いた場所だったそうです。
その脇に、ロマネスク様式の『Eglise St-Pierre(サン・ピエール教会)』がありました。
ユトリロも描いた古い教会で、正面の扉には聖人の彫刻がありました。
ステンドグラスに赤色が多く使われているのが美しく、印象的でした。

[サン・ピエール教会のステンドグラス]
その教会の周りを歩きかけると、ヴァイオリンを弾いている少女がいたり、
大道芸人もいました。
立ち止まって、ストリート・パフォーマンスを
もっと見ていたいと思いました。
でも、…あっ! その奥に、目標の真っ白な卵型のドームが
見えてきたではありませんか!
思わず駆け出しました。
いよいよ、ホテルから見えたあの白いドームに到着です。
…というところではありますが、「前編」はこのへんでおしまいにしましょう。
今度はいよいよ「後半」で、その白いドームのお話をしましょう。
「さんぽみち」へ、Come back again!
See you soon!
パリの『モンマルトル』。
そこは、ゴッホやピカソも住みついた芸術の街でもあります。
そして私も、その丘に魅せられた1人です。
私が歩いた足跡を一緒に辿りながら、その魅力を2回にわたって、
ご紹介していきたいと思います。
すでに行ったことがある方は思い出していただき、
これから訪れようという方はぜひご参考にしてみてくださいね。
そのときはイタリアに訪問した足で、パリにも寄ることになりました。
ローマから、ちょうど2時間ぐらいのフライトで、
パリのシャルル・ド・ゴール空港に着きました。
そして宿泊は、パリの中心のほうのホテルではなく、
たまたま『モンマルトル』の付近になったのです。
『モンマルトル』は、パリの中心から少し北に離れた山手地区で、
かつては芸術の中心地でした。
「え、芸術の話…?」と引かないでください。
今日は、そこのお話ですが、芸術に疎い私が、
芸術や芸術家に全く興味ない縁の薄い方にも
ぜひご紹介したいと思って書き始めました。
その『モンマルトル』に短期間ですが滞在することになった私、
…でしたが、じつはその地についての予備知識は、当時「ゼロ」!
それは見事な「カラッポ状態」だったのです。
最初は『モンマルトル』自体についてあまり関心もなく、
フランス滞在中に『モンマルトル』を見てまわる予定も
立てていませんでした。
むしろ、『モンマルトル』からパリの中心街へ出るのに、
毎回、スリの多い地下鉄で行かなければならないので、
uncomfortable(心地よくない)とさえ、感じていました。
ところが、
自分の足で歩き、自分の耳で聞き、自分の目で見た『モンマルトル』は、
長い歴史を語る a spectacular film(スペクタクル映画)を観た後のように
印象的で、日本に帰って来てからも、ますます忘れられない地に
なってしまったのです。
どうしてでしょう?
では、その『モンマルトル』の丘を一緒に登ってみましょう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ホテルの窓から見える小高い丘の上に、
それは美しい真っ白な丸い卵型のドームが見えました。
それほど遠くない距離のような気がして(それは大きな誤算でしたが)、
ブラブラと白いドームを目指して散歩してみることにしました。
「あのドームは何だろう…?」と思って。
そのときは、やがてそのドームのとりこになって
滞在中に何度も足を運ぶようなことになるなんて、
考えてもいませんでした。
丘のふもとの街は、カフェやレストランを中心に、
色々な店が並んでいて賑やかでした。
昼食を食べていなかったので、カフェに入りました。
店の壁や天井には人気らしいアスリート達の写真がたくさん貼ってあって、
身体の大きな、いかにも逞しい若者達が、ピザを食べていました。
「スポーツ・カフェ」だったんですね。
私も彼らのまねをして、ピザをちょいと一つ食べて…、
さあ、出発することにしました。
かつては、そこはブドウ畑や風車が連なる田園地帯だったそうですが、
1860年にパリに併合され、その後 多くの文人や画家が集まり、
ワインを中心に歓楽街として発展したそうです。
その名残に 有名な劇場の「ムーラン・ルージュ」があり、
真っ赤な風車小屋のような建物が今でも一際目立っています。

[ムーランルージュ]
裏通りを登れば、『ゴッホが住んでいたアパート』があると聞いて
探してみました。
注意深く見ていないと、通り過ぎてしまうような普通の建物でした。
その壁に、これまた目立たない大きさのプレートがあって、
「Vincent・Van・Goghが1886年から1888年まで居住」と書いてあり、
やっと、この場所であることが分かりました。
ちょうど外国人観光客達が通り過ぎようとしていたので、
私はついでにその人達にも教えてあげました。
すると、みんなあわてて写真を撮っていました。
でも実際は、「ゴッホが弟の所へ居候していた家」だそうです。
あの印象派の画家のゴッホが、こんなよくあるような坂道の途中に
住んでいたのかと、見回してしまいました。

[ゴッホが住んでいたアパート]
気がつくと、白いドームは向かい側の丘の上に見えるので、
そちらを目指すことにしました。
たくさんの細い小道があり、どこもきれいに舗装されていましたが、
どの道も坂道と階段ばかりでした。
両側は日本でよく見るマンションやアパートのような住宅が
並んでいました。
住宅の窓や狭いベランダはどこも綺麗な花の鉢で飾られ、
ヨーロッパらしさを感じました。

[モンマルトルの街並み]
丘の下の陽気な街とは正反対で、静かな住宅街は人影も少なく、
時々大きなネコに逢うのもパリらしさと言えるでしょうか?
しばらく坂道を頑張って登ると、
『Le Bateau-Lavoir(洗濯船跡)』に着きました。
「洗濯船跡?」と思う人もいるでしょうか?
へんな名前が付いている所でしょう?

[洗濯船跡]
ここは、ピカソ、ルノワール、モディリアーニなどの画家たちが
アトリエを構えていた共同住宅の跡です。
ピカソは1904年から1909年までここに住み、
「アヴィニョンの娘」などを完成させたそうです。
アトリエは後に火災で焼失し、当時の写真を展示した記念碑だけが
残されていました。
彼ら画家の名前は有名なので知っているのですが、
「それにしてもなぜ、洗濯船跡っていう名前になったのかな?」
と疑問に思いました。
後で街をよく知る方から話を聞いてみると、
焼失する前の彼らの安い共同住宅が、
当時セーヌ川に浮かぶ洗濯船によく似ていることから、
こう呼ばれるようになったそうです。
つまり、彼らの安宿のニックネームみたいなものですって。
急に道幅が広くなって、観光客が増えてきました。
丘に登りきると、…広場に出ました。
そこが、モンマルトルを象徴する広場である
『Place du Tertre(テアトル広場)』なのです。

[テアトル広場]
「似顔絵描き」が風物詩の一つで、様々な画風の絵描きが
観光客目当て?に自分の作品を並べ、キャンパスを出しています。
マンガ風な絵、水彩画風の絵、油絵風の絵…などを自由に広げて、
芸術家のタマゴのような画家が大勢いて、
モンマルトルらしい陽気な明るい広場です。
「似顔絵を描いてもらうのも面白いかな…?」と思いながら、
いろいろな絵を見てまわりました。
でも、その時は、絵を買ってしまうと荷物になると思い、
もっと色々と探検したいので、あえて素通りをすることにしました。
周囲はレストランやカフェが並び、どこも観光客でいっぱい。
そういえば、この風景を旅行雑誌でも以前に見たことがありました。
きっと名所の一つなんだなと思いました。
夜は歌声が響いたりして、さらに賑やかになるそうです。
夜も来てみたいな…と思いましたよ。
静かな住宅の坂道とは、別世界のように感じました。
でもそこは修道院の絞首台の跡地で、
19世紀には芸術家達が展覧会を開いた場所だったそうです。
その脇に、ロマネスク様式の『Eglise St-Pierre(サン・ピエール教会)』がありました。
ユトリロも描いた古い教会で、正面の扉には聖人の彫刻がありました。
ステンドグラスに赤色が多く使われているのが美しく、印象的でした。

[サン・ピエール教会のステンドグラス]
その教会の周りを歩きかけると、ヴァイオリンを弾いている少女がいたり、
大道芸人もいました。
立ち止まって、ストリート・パフォーマンスを
もっと見ていたいと思いました。
でも、…あっ! その奥に、目標の真っ白な卵型のドームが
見えてきたではありませんか!
思わず駆け出しました。
いよいよ、ホテルから見えたあの白いドームに到着です。
…というところではありますが、「前編」はこのへんでおしまいにしましょう。
今度はいよいよ「後半」で、その白いドームのお話をしましょう。
「さんぽみち」へ、Come back again!
See you soon!
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